「残り物には福がある」のか 松ぽっくり編
十勝の生き物たちはかなりチョウセンゴヨウの「松の実」に依存しているそうです。
確かに適当なところにチョウセンゴヨウの球果や種子を干しておくと
アカゲラにつつきまわされたりします。
エゾリスもまたしかり。
どんぐりなんかよりずっと栄養価の高い「松の実」が大好きです。
なので↑の画像のように散々かじられた球果の成れの果てを良く見かけます。
さて、このかじられ残りの球果に残った趣旨に胚乳(松の実)は入っているのか。
1.入っている。種子が取り出しやすくて捗る。
2.食べ残しは食べる価値がない種子しか残っていない。
この両方を耳にしました。
ので、手元に二つしかありませんがどちらが正しいのか実験してみたいと思います。
二つのうち一つ(仮にAとします)は種鱗が元々開ききぎみで保管するうちに
こぼれ落ちてしまい残りが5粒しかありません。
ないものは仕方ないのでとりあえず割ってみます。
結果はこのように人間でも口にできるようなしっかりと胚乳が成長したものは
一個だけで3個は未熟な感じのもので残り一個は全く胚乳が成長していませんでした。
これではリスに人気がなくて残されたのかもしれません。
もう一つ(Bとします)は種子たっぷり。
とりあえず適当にとって10粒割ってみます。
すでに種子ひとつ一つがAより重く感じられが期待大です。
結果はご覧の通り。
9粒は文句なしの「松の実」で1粒だけが未熟な状態でした。
二つだけしかないのでなんとも言えませんが1.と2.両方正しいのかも。
Aは不人気 Bはたまたま何かの理由で食べ残しただけの残り物には福が
(人間には)あるタイプの食べ残しなのかもしれません。
以上どうでもよすぎる調査・実験でした。
| 自然散策・散歩 | 08:30 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑